信仰の時代(1)

日本の「縄文時代」と時を同じくして、約3000年前の古来中国「殷(いん)の時代」。
この時代は、巫女(巫子)が天下を統べる「信仰の時代」でもありました。
そして、当テーマとなる「漢字」が生まれたのも、この頃のことです。

「漢字」が生まれた最初の経緯として「亀卜(きぼく)」が挙げられます。

「亀卜(きぼく)」とは、動物の骨や亀の甲羅を火で焼き、そこから出来るひび割れのこと。その浮き出た「模様」で吉凶を占うのです。

「漢字」は、このとき占った吉凶の結果を後々まで記録しておくために生まれました。

当時の人たちは、動物の骨や亀の甲羅に浮き出た模様(一文字の漢字)の「亀卜(きぼく)」を「神の言葉=祝詞(のりと)」として取り決め、ことさら丁重に扱いました。

さらに、今で言う「絵文字」のように、人や動物の体躯の姿勢から推測される文字「甲骨文字」が生まれ「金文字」(青銅器の表面に鋳込まれた金色の文字のこと)を生み出しました。
こうして「漢字」は、時代と共に変化していったのです。

この時代、中国では「占卜(センボク)=占い」が盛んで「占卜(センボク)」こそが人々の生きる指針でした。

というのも、この時代での政治的な決断や、国の未来に関わる重要な事柄を決めるのは、全て皇帝の役割とされていた時代。

「皇帝=神」という信仰的な見方が強かっため「皇帝の言葉は神の言葉」と考えられていたのです。

しかし、皇帝もまた人間。自然や未知のことまでは知る由もありません。

そのために皇帝は「巫女(みこ)」や「巫子(いちこ)」と呼ばれる、特殊な能力を持つ《神がかり的な人間》を抱え、皇帝直属の臣下、王の次に権威のある最高権力者、またはその同等の《特別な権限》を与えたといいます。

※中国での最高権力者は「皇帝」であり、「王」もまた、皇帝の臣下の1人。
※「巫子(いちこ)」とは、「巫女(みこ)」の男性版のことです。
※「巫子」=(ふこ)(みこ)と呼ぶこともあります。

信仰の時代(2)

神の依代とも言える「巫女(みこ)」や「巫子(いちこ)」の力は大きく、かなりの発言力もあったため、なかには「巫女(みこ)」や「巫子(いちこ)」を利用して、皇帝の権威を揺るがそうとする悪人も多く、「我こそは人の能力を超えた、超人の能力の持ち主である!」と豪語してはばからない、ふとどきな者も少なくはなかったそうです。

考えてみれば、動物の骨や亀の甲羅に浮きでた「模様」から「神の言葉(祝詞)」を読み解くという巫女(巫子)の所業。

その能力こそが既に人間離れしているわけですから、よほど神聖な能力、もしくは読解力が必要なわけです。

巫女(巫子)を務められる人間は、そう多くはなかったでしょう。
「強大な力」を崇められる理由も、頷ける話です。

そうなれば、巫女(巫子)を務められる人間というのは、本当の意味で「神の能力」が備わっている人間か「口の上手い人間」ということになります(苦笑)

そもそも骨や甲羅に浮き出る「模様」自体、凡人には全く以て、理解不可能です。

結果がどのように解釈されようとも、否定はおろか肯定も出来ません。

なかには、自分の意にそぐわない人間、邪魔になる人物を「神」の名のもとに手に掛ける巫女(巫子)も居たというのですから・・・。

いかに、その時代の巫女(巫子)の能力が、とてつもない権力を持っていたかを推測することができます。

まさに巫女(巫子)のやりたい放題、無法地帯だった時代ならではの話です・・・。

信仰の時代(3)

巫女(巫子)の行う「占卜(センボク)」には《生贄》が付き物でした。

それも出来るだけ清らかで、新鮮な《生贄》ほど神が喜ぶとされ、処女で穢れのない若い女性や子供、しなやかで美しい動物などが《生贄》として選ばれました。

王族の血を引く直系の子孫や、その種族の長の家系は、ことさら標的にされる確率が高く、多くの人間が血を流し、命をも犠牲にされてきました。

なかには、自分の子を差し出す代わりに、誰かの子をお金で買い、自分の子として《生贄》に差し出すなど、人身売買のような行為も当たり前のようになされていたそうです。

親が子を売る・・・そのようなことが普通に行われていたとは!
想像しただけで身の毛がよだつ話です。

それにしても、凄まじい背景が見え隠れする「信仰の時代」。

当時の「導き手」は、日本の昔話の《鬼》のように、随分と荒っぽく血なまぐさい「神」だったようです。

その時代、そこに生きる人々にとっての「占卜(センボク)」とは、まさに命運を左右するほど強大で偉大、そして恐ろしい「神の力」そのものだったのです。

このページの先頭へ