「文字」の誕生と歴史(1)

「文字」は、いつの時代に生まれ、どんな歴史を経てきたのでしょうか。

「文字の誕生や歴史」、「文字は、なぜ必要だったのか」など「文字」に関する興味深いエピソードなどを交えながら「漢字のなりたち」について紐解いてみたいと思います。

語り伝えられるエピソードや、それを読み解く見解には諸説あり、一概には言えないところではありますが、ここでは「白川文字学」を確立した「白川博士」の表現をベースに、「漢字のなりたち」についてまとめています。

数々、様々なエピソードを読み解くうちに「これは違うのでは?」と引っ掛かる部分もあるかもしれません・・・が、それは長い年月を経て語り継がれていくうちに、より伝えやすいよう、ニュアンスが変わってしまうもの、受け取り手それぞれの見方、解釈の違いなどから、少しづつ形が変わってしまうことも多いものです。

このような伝えかたもあるのだな・・・という感じで、参考にして頂ければ幸いです。

前置きが長くなりました・・・では始めましょう。

そもそも当時の人々が、なぜ「文字」を生み出す必要があったのか、そして「文字」がこの世に生み出されたのは、いつのことなのでしょうか・・・?

「文字」の誕生と歴史(2)

時代は、現代から約3000年前の「縄文時代」にまでさかのぼります。

この時代は興味深く、様々な《世界最古》の歴史を打ち立てています。

例えば、世界で最も古い文字とされている「古代シュメール文字」より、縄文時代の文字はさらに古いとされており、まさにこの時代の文字こそ「世界最古の文字」と言われているのです。

また、この時代に作られた「土器」もまた「世界で最も古い時代の土器」とされていて、現代のモノ作りの基盤になっていることは間違いないでしょう。

今さらながら、この時代の人々の知能の高さに驚かされるばかりです。

しかし当時、「文字」の観点から見てみると、縄文時代の人々が土器や粘土板に記した文字「ヲシテ」は、およそ「文字」と呼べるような型を成してはいませんでした。

「文字」というよりは「模様」や「記号」に近く、例えば、横または縦の線を数本まとめたものだったり、丸に点を付けたもの、または斜線を入れたものなどが主だったようです。

なかには、1本の縄やヒモに結び目をつくり、色を付けたり、結び目を複雑な模様のように編み上げ「印」として、刻み付けたものもあったそうです。

「文字」の誕生と歴史(3)

器や瓶などをかたどった粘土に、編みこんだ縄の模様や尖った棒で模様を刻み、窯で焼き上げたものが「土器」です。

その「土器」に刻み付けられた「模様」は、単なる装飾や遊び心から付けたものではなく、もっと実用的な理由からでした。

それは、汲んだ水の回数を数えるためだったり、獲った獲物の数を数えるためだったり。

当時の生活に根付いた知恵から生まれた、模様のような文字「ヲシテ」は、少しづつ人々の間に浸透していきました。

そして、徐々に「文字」は意味を持ち始めます。
人は他人と「共有」することを覚えるのです。

そうなると、自分だけが判別出来ればいい程度の「模様」は、コミュニケーションを図る上で有効ではありません。

ならば他人にも分かるよう、何かしら目に見える「形」を用い、他人との関係の中で成り立つものにする必要があると考えたのです。

そこで人は、他人との共有、つまりコミュニケーションツールとしての文字「ヲシテ」を生み出し、使用するようになりました。

また「これは自分のものだ」という「所有権」の証として、「印」を付ける意味合いも強かったようです。

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