第九章 埴谷雄高と武田泰淳体験 三

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第九章 埴谷雄高と武田泰淳体験 三

埴谷雄高を知れば、そこには必ず武田泰淳の名が上がるほどにこの二人は羨ましいほどの友情で結ばれていましたが、私もご多分に漏れずに、埴谷雄高を読み始めてすぐに武田泰淳の名を知り、彼の作品も埴谷雄高の作品と同時進行の形で読むことになったのです。
すると、私はますます小説が書けなくなりました。

成程、私は埴谷雄高と武田泰淳の作品を超える小説が書きたいのか

とそこで初めて私が陥っている陥穽に気付いたのでした。
そして、埴谷雄高と武田泰淳の名の陰には常にドストエフスキイが身を潜めていて

私を超える作品を書け

といつも私を嘲笑っていることに気付いたのです。
しかし、そんなことは私に不可能なのは火を見るよりも明らかです。

埴谷雄高や武田泰淳でさえドストエフスキイを結局は超えられなかっではないか……

と、自分に言い訳してみては、何も書けない自分を正当化する、否、自分を誤魔化すあざとい言い訳ばかりを己に対してするようになってしまいました。

それから二十数年、私は、小説は書けずに、今も書けず仕舞いです。
でも、小説が書けずとも作品は書けるようになりました。
それは「小説を書くことを断念」したことによるものでした。
それは、突然に私の頭に浮かび、そして、ぱっと一瞬にして視界が開ける瞬間だったのです。

因みに武田泰淳の作品では『ひかりごけ』『わが子キリスト』『富士』が特に大好きです。

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