第二十六章 飛翔 一

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第二十六章 飛翔 一

未だ本など出すなんて考えてもいなかったとき、私は次のブログに書いたもので私が未知なる領域へと確かに飛翔したことを自覚したのでした。
それは次の文章です。

〈「異形の我
フラクタル的に見ても地球と脳は自己相似を成してをり、仮に脳裡に浮かぶ仮象の一つ一つがこの世に存在する物の象徴としたならば、脳裡に浮かぶ仮象は異形の我の仮の姿なのかもしれない。深海に棲む生物の異様な姿は漆黒の闇の中で自らの姿を妄想し、棲む環境がさうさせたに違ひない。私の脳裡に浮かぶ仮象の海の奥底には私の知らない異形の私が必ず棲息してゐる筈である。中にはぬらりと仮象に現れてその異形を見せる奴もゐるだらうが、多分奴らの殆どは私が死んでもその姿を現さずに闇の中でひっそりとその登場の機会を窺ってゐる筈だ。
――お前は誰だ。
――ふっ、お前だぜ。〉

この文章を書いた時に私は己の進むべき道を何となくぼんやりと感じ取ったのは間違いありません。

先ず、タイトルの「異形の我」の発見が、全てと言えるかもしれません。
異形の我」という言葉は、それまで、即自、対自、脱自などと外来の哲学の言葉を間借りして、私自身の思索を深めようともがき苦しんでいた私にとって、この「異形の我」という言葉の発見は、即自、対自、そして脱自を呑み込んでも余りある言葉だということが、時が経つにつれて大きくなってゆくのでした。

ここに書かれている事はまだほんの萌芽に過ぎませんが、これがドゥルーズガダリの『アンチ・オイディプス』の分裂症的な「」の発見でもあったのです。

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