第二十五章 文章のリハビリテーション 四

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第二十五章 文章のリハビリテーション 四

浮遊と落下」の次に私がブログに書いたものは次のような文書です。

〈「カルマン渦―断章 壱
時間もまた流れる流体の一種ならば時間のカルマン渦も時間の表象に生滅してゐるに違ひない。その時間のカルマン渦の一つ一つが物の生滅を象徴してゐるとしたならばそこに見えるパノラマは将に諸行無常の位相の数々に違ひないのだ。
その時間のカルマン渦の一つにたゆたふ我はまた、ゆるりと流れ行く時間を味はひながら己の無常といふセンチメンタルな感傷に耽るといふ極上の楽しみを満喫せねばならぬいふ宿命を自嘲してゐる……。
――あっ、これが物自体の影絵なのか……〉

ここで私は自分の思索を自力で掘り下げるために「時空」の形象を断行しています。

先ず、時間を「流れる」流体と強引に看做しています。
私がここで思い描いているのは水が穏やかに流れる「」です。
その川面に出来るカルマン渦――カルマン渦とは自然界でごくふつうにみられる渦の事で、その代表的なものが台風です――の生滅を「存在」の誕生と消滅とに強引に重ねてみています。

この「カルマン渦―断章 壱」で私は文章を書くリハビリのホップ・ステップ・ジャンプを成し遂げたと言えます。

時間の流れに生滅するカルマン渦のその寿命が「存在」が「存在」であることが出来る「時間」の形象なのです。
勿論、私はこの考えに至る以前に物理学の相対論や量子論などの本を読んでいた上での「仮象」に過ぎないことは百も承知しています。
しかし、私は、この「カルマン渦―断章 壱」に至って物理学の世界観はあまたある世界認識の仕方の一つに過ぎないという結論に至ったことがこの「カルマン渦―断章 壱」で語られているのです。

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