第二十九章 出版への道

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第二十九章 出版への道

私は毎週ブログを書く事で文章を書く事のリハビリテーションを何とかやり遂げ、ブログの記事も本一冊分ほどたまった或る日、不意に「文芸社」の広告を目にしたのでした。
文芸社」にはよくない噂もありましたが、ここはなけなしのお金を果たして「」を出版しようと、忽然と思い立ったのです。
文芸社はブログをそのままワードにコピーした原稿とは言えないものまで受け付けていたので私はブログをそのままコピーしただけのものを文芸社に送りました。

」を出版することはお金さえあれば今では誰でも可能な時代になっています。
私は、文学賞の類からは隔絶したところで物書きの仕事を細々と続けられればいいと考えていたので、文芸社を選んだのです。
文芸社はある人々から笑いの種としてネットの掲示板などに書き込みがされている事も知った上での決断でした。
費用は二百五十万以上かかっています。

原稿を文芸社に送った翌日に文芸社から電話があり、すぐに出版することが決まりました。

そして、実際に「」の制作に取り掛かったのですが、私の文章は殆ど直すことなくそのままの形で『夢幻空花なる思索の螺旋階段』として出版されました。

しかし、ここで思い違いをしてほしくはないので敢えて言いますが、無名の者が書いた本なんて、先ず、売れないと考えて本を出版するならば、出版してください。

当然のこと、私の本など売れる筈もなく、それでいて私は物書きで生活することに根拠のない自信がありました。

夢幻空花なる思索の螺旋階段』を出版してからも私は原稿を書き溜めて、色々な出版社に送ることを繰り返しては、その原稿が没になることを繰り返していたある日、日本文学館から不意に電話がかかってきて是非本を出版したいとの旨の電話がかかってきたのでした。

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