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第十三章 地獄とは
地獄は彼の世ではなく此の世に存在するものだという事を自覚したのは、そんな何もできない私をぼんやりと意識する事しかできない私を認識したことが、きっかけになったのは確かでした。
まさに、あの当時の私を思うと、私が住んでいた精神界は地獄だったに違いありません。
しかし、それがのちの私の創作の原点になったことを思うと、いまさらながら人生というものは不思議で一杯だとつくづく思うのです。
私が唯ぼんやりとテレビを眺めることから脱出するのにはまだ、数年必要でした。
私はテレビを眺めながらひたすら吾が事の全てを苛酷なまでに責め続けていたのでした。
それは全く仮借のない、つまり、私の逃げ場はない針のむしろに自ら座る「地獄」を私は自作自演をしていたのです。
それはいつも堂々巡りを繰り返し、必ず私を責め苛まずには私自身が私の存在を全く認めないという苛酷極まりないものでした。
それを唯ぼんやりとテレビに目をやりながら休む間もなく、そして、寝ることもなく、延々と続けるのです。
これが地獄でなくてなんでしょう。
その当時は地獄などとは全く思いませんでしたが、お蔭で私は「存在」自体をいつも疑う癖がついてはしまいました。
しかし、それが十数年後の創作のエネルギーになるとは驚きとしか言いようがありません。
それまでがちがちに凝り固まってしまった「私」という存在の「物体」は氷が零℃でゆっくりとゆっくりと溶解するようにして溶け始めたのは、私が実家へ強制送還されてから五、六年経った頃からです。
その時になって初めて私はテレビを見ている自分を認識できたのでした。
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